あるクリスチャンの生活
2010-02-21T16:17:59+09:00
tsubita
クリスチャンだってがんばってるんだ~。猫+韓国+物理+クリスチャン=??
Excite Blog
行きたいんす。
http://tsunya.exblog.jp/10793146/
2010-02-21T16:17:58+09:00
2010-02-21T16:17:59+09:00
2010-02-21T16:17:59+09:00
tsubita
クリスチャン生活
原宿のネコカフェ。高いんです。30分500円。
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都内某大学
http://tsunya.exblog.jp/10786998/
2010-02-19T16:41:58+09:00
2010-02-19T16:41:58+09:00
2010-02-19T16:41:58+09:00
tsubita
クリスチャン生活
ひろいっす・・・。
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横浜スタジアム
http://tsunya.exblog.jp/10783319/
2010-02-18T14:19:54+09:00
2010-02-18T14:19:53+09:00
2010-02-18T14:19:53+09:00
tsubita
クリスチャン生活
訳あって横浜です。東京より余裕感がありますね〓
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朝ご飯
http://tsunya.exblog.jp/10772112/
2010-02-15T08:40:49+09:00
2010-02-15T08:40:49+09:00
2010-02-15T08:40:49+09:00
tsubita
クリスチャン生活
すごいっす。今日の朝ご飯。お呼ばれしています。
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ケーキ!!
http://tsunya.exblog.jp/10768726/
2010-02-14T12:17:41+09:00
2010-02-14T12:17:42+09:00
2010-02-14T12:17:42+09:00
tsubita
クリスチャン生活
今日はあの日ですから、姉妹が作ってくれました^^
日曜日はヨハン早稲田キリスト教会へGO!!
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放送部室
http://tsunya.exblog.jp/10768341/
2010-02-14T09:11:49+09:00
2010-02-14T09:11:50+09:00
2010-02-14T09:11:50+09:00
tsubita
クリスチャン生活
機械がたくさんあるとおちつきますねぇ。私だけですか?
日曜日は、ヨハン早稲田キリスト教会へ^^
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これもすごいす。
http://tsunya.exblog.jp/10767316/
2010-02-13T23:00:01+09:00
2010-02-13T23:00:01+09:00
2010-02-13T23:00:01+09:00
tsubita
クリスチャン生活
知り合いが、書いたんです。
書道の先生です。
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これいいですね
http://tsunya.exblog.jp/10765863/
2010-02-13T15:39:37+09:00
2010-02-13T15:39:37+09:00
2010-02-13T15:39:37+09:00
tsubita
クリスチャン生活
心の中に、今日歩む道にたくさん立てたいです。
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東大駒場
http://tsunya.exblog.jp/10762263/
2010-02-12T14:15:47+09:00
2010-02-12T14:15:46+09:00
2010-02-12T14:15:46+09:00
tsubita
クリスチャン生活
木枯らし吹いてますねぇ。
寒がりな私としては、厳しいところです。
ヨハン教会のtsubitaでした。
(古畑任三郎っぽく)
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創造論専門ブログ
http://tsunya.exblog.jp/10761669/
2010-02-12T10:05:08+09:00
2010-02-12T10:05:05+09:00
2010-02-12T10:05:05+09:00
tsubita
クリスチャン生活
非常にトピックは多いです。
がんがん更新する・・・予定です。
ブログは、
http://bibleid.exblog.jp/
です。]]>
かわいい絵
http://tsunya.exblog.jp/9699520/
2009-05-08T17:15:45+09:00
2009-05-08T17:15:39+09:00
2009-05-08T17:15:39+09:00
tsubita
クリスチャン生活
キャンパスで使っている良い知らせから・・・。
いまもまどろむことなく、忙しく働いているイエス様がかわいく描かれています。
個人的には、ホワイトボードにいろいろ貼ってあるのが面白いですね。
P.S.
ていうか、1年ぶりです。とりあえず小ネタからがんばります。]]>
本郷近くで
http://tsunya.exblog.jp/4665785/
2007-02-02T15:27:35+09:00
2007-02-02T15:27:35+09:00
2007-02-02T15:27:35+09:00
tsubita
クリスチャン生活
なんとなく緊張している趣きだったのですが、後でその理由がわかりました。
おもむろにかばんから取り出したものはハチマキ。
それをかばんに結び付けていたのですが、
そこに書いてあったのは、「絶対合格 (桜マーク) 桜陰中学校」。
なるほど中学受験だったのです。
(桜陰というと名門ですね)
ま~これだけだったら、なにも感じなかったのかもしれませんが、
その子のかばんにくっついていたものが、いわゆるお守り。
塾で配っている感じのもので、そこに書いてあったのが「がんばれ」の4文字だったのです。
その子はそのお守りの中に行きの切符を大事そうに入れて持ってあるいてました。
さて、お守り自体クリスチャンからすれば偶像ですから、このシーンは嘆きの祈りの対象です。
(もちろん、私は「この親子に福音が伝えられるように」祈ってきましたが・・・)
いやそれよりも憤りを感じたのは、お守りに「頑張れ」と書く精神です。
そもそもお守りは何か(聖書では明確に偶像と書かれる)に力を借りるものでしょう。
力を借りようとするものに書いてある言葉が「がんばれ!」だったのです。
これはあまりにもデリカシーに欠けます。
なぜ力を借りようとしているのでしょうか?
それは自分の力に自信が無いからでしょう。(あるいは不安だからでしょう。)
しかし、力を借りようとしているものに書いているのは、
「がんばれ」、つまり「おまえがやれ」ということです。
力を借りてすがろうとしている者に、おまえがやれと言う精神。
これこそ、サタンやり口です。サタンは巧妙に人をだまします。
(私も、よく騙されますが)
それをすれば、良いことかのように誘ってきます。
「お守りを持てば合格できるのではないか?」
しかし、お守りを持つという行為に対しての責任、
さらに合格に達するまでの責任は自分で取らせるのです。
結局、最後に言われるのは「おまえがやれ!だっておまえがそれを選択したんだから。」
ちょっと考えれば、矛盾が見えるような事も堂々とまかり通る世の中になりました。
世の中が形式主義であふれ返っています。
「アガペ(愛)は責任だ。」
宣教師先生から聞いた言葉です。
占いをやっている占い師が最後まで責任を取ってくれるのでしょうか?
お寺のお坊さんや、神社の神主さんが最後まで責任を取ってくれるのでしょうか?
少し考えれば、分かることです。
(もちろん、すばらしい人はたくさんいます。
しかし、素晴らしい人がいる場所が、自分にとって良いところでは決してありません。
素晴らしく「なった」人を探すべきでしょう。
素晴らしくなった人がたくさんいるところであれば、自分も素晴らしくなる可能性があるのですから。
どのように素晴らしくなった。のかも重要ですし^^)
イエスキリストはどういわれたでしょうか?
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」
主イエスは信じた自分だけではなく、その家族にまで責任を持ってくれるのです。
「あなたがやりなさい」と言われた事は、確かに聖書にたくさん出てきますが、
信仰を試すためであって、最終的には全部イエスキリストがやってくれるのです。
どこまでいっても責任を持ってくれるイエスキリスト。ハレルヤですね。
まだ信じていないかた、ちょっと聖書を開いてみましょう。
驚くべき約束がたくさん書いてあります。
すでに信じているかた、イエス・キリストのようにアガペの愛で愛していきましょう。
それこそ、新しい掟の一番目であり、主イエスの確信的な力ではないでしょうか?]]>
力ある人生
http://tsunya.exblog.jp/4619444/
2007-01-25T00:48:58+09:00
2007-01-25T00:48:58+09:00
2007-01-25T00:48:58+09:00
tsubita
クリスチャン生活
なるほど、リックウォレン先生の本は読みやすい^^
内容は聖霊の9つの実を結んでいくにはどう生活すれば良いのか?
という非常に具体的な適用の本でした。
結構グループで分かち合って読んだらかなり良いのではないかと思います。
その本に、このような事が書いてありました。
『みな変わりたいと思っており、変わる方法は世の中に溢れている。
しかし、変わる力をどうするのかは、どこにも書いていない。』
まさしく、変わる方法論は世の中に溢れています。
ちょっと本屋さんに行けば、「できる!~~~」とか「生活を変える」・・・
とかの自己啓発系の本で溢れています。
その本の中にはこれをすれば生活が変わりますということが確かに書いてありますが、
それを成し遂げる力はどこから持ってくるか、まったく教えてくれていないのです。
自分でやってくれ!と投げ出されています。
人間の中に自分を変える働きをする力が無いことは、
自分の胸に手を当てて、自分の人生を振り返るなら、すぐにわかるでしょう。
残念ながら、人間には善をやり続ける事ができません。
ていうか、そんな事ができたなら自己啓発系の本なんて読まないですし、みんな成功してます。
この力こそイエスキリスト、その福音です。
聖書には、たしかに人生を変える方法論も沢山ありますが、
それだけでは、他の本と変わりありません。
聖書に力があるのは、それをなす力の問題を解決する方法が書かれているからです。
だれだって、「自分のこういうところが直れば良いのに・・・」と思ったことがあるはず。
「寝坊が直れば・・・」、「もっと笑顔が素敵になれば・・・」、「人間関係がうまくいけば・・・」
これら全てを成し遂げる力がイエスキリストにあるというお知らせは、
全ての人に対してチャレンジをすることができます。
自己啓発の本を読んでも、セミナーに出ても自分は本当には変わりません。
自分を変える力は、そこからは学べないからです。
しかし、聖書にはその力を手に入れ、学び強める方法が書いてあります。
聖書を学ぶ切り口にこういう視点を取り入れたらもっとチャレンジできるのではないかと思った今日この頃でした。
(良く考えてみると、先輩筍長がこのようなチャレンジをしていることを聞いたことがありましたね^^)]]>
イエスキリストはだれか?
http://tsunya.exblog.jp/4301614/
2006-12-04T21:11:00+09:00
2006-12-04T22:01:53+09:00
2006-12-04T21:11:24+09:00
tsubita
クリスチャン生活
C.S.ルイスは言いました。
(↑最近では「ナルニア国物語り」が有名。文章を読む限り天才です。)
イエスキリストに残された選択肢は3つしかない。
「悪の詐欺師か、善良な精神病者か、神か」
キリストはすばらしいメッセージを残したので、
彼はすばらしい先生だったんじゃないか?宗教の創始者じゃないのか?
と考える人も多いと思いますが、次のキリストの一言がそれを一蹴してしまうのです。
「私をみた者は、父(神)をみたのだ。」
キリストは自分ではっきりと『私が神である』と宣言するのです。
では、この宣言は正しいのか?間違っているのか?考えねばなりません。
正しいとすれば、キリストは先生とかそういうものをはるかに超えた存在となり、
間違っているとすれば、無意味なフィクションだったことになります。
この宣言によって、キリストは自分を追い込みました。
頭のいい人であれば、「私が神である」とは言いません。
自分に必ずボロが出ることを知っているからです。
現在も「私が神である」と言っている人はたくさんいるらしいですが、
すぐに嘘とばれて信じられないか、洗脳して信じさせているかのどちらかです。
さて、この宣言が間違っているとすればどうなるのか?
二つの可能性があります。
キリストは間違いだと知っていてうそをついたのか?
それとも、嘘と知らずに宣言してしまったのか?
前者の場合は、要するに詐欺師です。
しかし、この詐欺師はただの詐欺師ではありません。
「あなたの罪は許された~」なんて宣言してしまう権威者として振る舞い、
言っているメッセージは「敵を愛せよ」なんてすばらしいことを言う。
多くの群集をだまし、弟子を嘘の教えで育てて死に追いやり、現在も20億人くらいがだまされています。
これが本当だとすれば、キリストは相当に頭が切れる極悪人です。
①「悪魔の詐欺師」イエスキリスト
後者の場合は、精神異常者です。
現在でも「私が神だ」といって、精神病棟に入っている人が多くいます。それと同じです。
しかし、この精神異常者はただの精神異常者ではありません。
多くの群集のニーズに常にこたえる人であり、つねに他人のことを思いやって過ごし、
「私はつかえるために来た」といいながら弟子の足なんかも洗っちゃったりするんです。
これが本当だとすれば、キリストは非常に善良な精神異常者です。
②「善良な精神異常者」イエスキリスト
最後はこの宣言が正しいという可能性。
③「神の子」イエスキリスト
さて、現在ではキリストの名において多くのことがなされています。
私たちに感動を与えることができる音楽や絵画や文学、
病院や学校による社会的事業も計り知れないほどです。
歴史をみれば、子供・老人、特に女性の人権はキリストの名で守られました。
世界中で祝うクリスマス。
詐欺師のために、精神異常者のために祝う祭りがクリスマスなのでしょうか?
私達は考えなくてはいけないのです。
「イエスは人でした」といった瞬間、詐欺師か精神異常者になってしまいます。
すごい縛り^^
「悪の詐欺師か、善良な精神病者か、神の子供か」
さて、どれだと思いますか?]]>
聖書は捏造か?
http://tsunya.exblog.jp/4202624/
2006-11-18T03:53:00+09:00
2006-11-18T04:04:31+09:00
2006-11-18T03:53:22+09:00
tsubita
クリスチャン生活
「聖書って良いように捏造されたんじゃないですか?なんとか会議のときに。」
と疑問が投げかけられてきました。
聖書の内容が捏造かそうでないか、
はっきり根拠立てて説明できるクリスチャンがどれだけいるのでしょうか?
私は歴史学者ではないので聖書の歴史学的検証は専門家にゆずることにします。
ちなみに、3つの歴史学的検証を見事にクリアできるのが聖書です。
聖書が歴史上もし正しいものでないなら、世の中の歴史は何にも正しくなくなるらしいのです。
最も信頼度が高い歴史書物が聖書だそうですよ。
さて、では私はどういう形で説明して行くのかといえば、論理と想像に任せていこうとおもいます。
簡単のため新約聖書に限って話をすることにしましょう。
新約聖書は捏造か?
新約聖書がクリスチャンに良いように変更がなされるのはありえないことです。
順を追ってみてみましょう。
イエスが復活した当時の状況を考えて見ましょう。
当時の権力者はローマ帝国。
ただし、ローマ帝国は支配下の国の文化や宗教には寛容でノータッチでありました。
(だからこそ、ユダヤ教の大祭司長などが存在できるんですが)
ということで、ローマ帝国が聖書をクリスチャンに良いように書き換えたと推論するには無理があります。
だいたい、ローマ帝国は300年くらいまでクリスチャン迫害しまくってますし。
国教になってから改ざんしたというならまだしも、当時ではありえません。
では、ユダヤ人の中の権力者はだれか、それは祭司長など律法学者だったのでしょう。
しかし、この人たちはクリスチャンが増えては困る人たちでした。
ローマ帝国と同じように律法学者たちが、聖書を改ざんしたとは考えられません。
(逆に、復活など無かったと言いふらしたかもしれません。)
さ~、権力者たちはクリスチャンに反対するものばかりだった状況です。
では、聖書が改ざんされたとすれば、弟子たちによるものだったのでしょうか?
弟子たちが結託して、イエスキリストに関する不利な事実をまげたのか?
これも考えにくいのです。
だって、聖書の内容が実は事実ではなくて、そしてそれを良いように書き換えたならば、
すぐさま権力を持っている律法学者が、指摘してねじ伏せるはずです。
律法学者を取り込む力やお金が弟子達にあったのか??
いやいや、ほぼ漁師の集まりだった弟子たちに当時何ができたというのでしょうか?
そうなんです。
聖書が書かれた当時、聖書を自分たちの良いように改ざんすると、
時の権力者によって簡単に潰されてしまう状況だったのです。
クリスチャンに権力が渡る(ローマで国教とされる)遥か前に新約聖書はすべてかかれます。
つまり、改ざんすればすぐに握りつぶされるという状況で新約聖書は書かれます。
この状況で新約聖書の改ざんはありえません。
さらに、この間に爆発的な数の写本が出まわっていることから、
一番最初に書かれた原典がそのまま書き写されていったことがわかるのです。
では最後の可能性、300年以降のローマ国教となったキリスト教の時代に改ざんされたというものですが、
このときに改ざんする必要は全く無いのです。動機が無い。
改ざんするんならローマ国教にしようとして改ざんするはず。
何でわざわざ国教になって安泰なときに改ざんしなくちゃいけないんでしょうか?
ということで、これもおかしい。
そう、論理的に考えれば新約聖書は、一度も改ざんされる余地が無かったものなのです。
今手にすることができる聖書は2000年前くらいに出回った写本と同じなのです。
聖書中の記述が改ざんではないとすれば、
これが歴史的事実だと論理的に認めざるを得ません。
聖書は事実である。
これが論理的な帰結です。
私たちの理性では理解しにくい復活のできことさえ例外ではありません。
復活はでっち上げでもなんでも無く、歴史なのです。
何度も言うように、でっち上げならば、時の権力者にすぐに潰されてしまいます。
私たちは選択しなくてはけないのです。
歴史である聖書を受け入れるかどうなのか?
イエスキリストは神なのかどうなのか?
その責任は私たち個人個人に問われています。
だからこそ、キリストを伝える私たちには、聖書が真実であることを伝える義務があります。
伝えてられている人が聖霊様の働きで信仰を持つことを切にいつも祈っています。
P.S.
「聖書の原典は変わっていなかもしれないが、原典がうそ八百だった」という可能性に関して議論していませんが、
あの、非常に不思議で胡散臭いことがたくさん書かれている新約聖書が、
(だって、5000人食べさせたり、一番やばいのは復活したりするんですよっ!!お客さん。)
嘘とか、想像だったら、それこそ律法学者に指摘されておしまいです。
その当時、キリストの周りには律法学者が見張ってましたからね。]]>
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